瀬戸内寂聴さんの名言が話題ということで道に迷える私はその名言を調べてみることにしました!
そして、娘さんとの壮絶な関係性だったり、秘書が一斉に退職する事件があったことも知りました。
一体その裏には何があったのでしょうか?
瀬戸内寂聴の娘の現在とは?
瀬戸内寂聴の娘 pic.twitter.com/pDGpCWEQ4P
— らじえる〜芸能ゴシップ大好き〜 (@Snn_sexy_night) January 24, 2020
瀬戸内寂聴さんは現在『尼さん』と『小説家』と二足のわらじを履き活躍していますが、東京女子大学在学中の21歳の時にお見合いで最初の結婚をし、その後子宝にめぐまれ、翌年女の子の赤ちゃんを出産されています。
だけど、生まれたまでは幸せな話ですね!
で終わりますが、実際はそうではありませんでした。
この後が激動です。
その後、彼女は学者の夫の教え子と恋仲になり、寂聴さん25歳、娘が3歳の時に夫と娘を捨てて家を出ていきます。
今の時代であればこういう話も普通にあるような話ですが、当時は終戦直後で、妻は夫をたてて支えるべきだといわれていた時代。
そんなまだまだ男性優位の時代に、年下の男と駆け落ちしてしまう、行動力には驚かされる話ですよね・・・
彼女がなぜ大事な娘を置いて出て行ったのか、当時の自分が経済的に自立していれば子供と一緒にいられたが、自分にはその力がなく置いていくしかなかっただそうです!
そう駆け落ちしているのです。
しかも娘さんも置いて駆け落ちしてしまいます。
相手が夫の教え子ともなると複雑な関係すぎるでしょう!
終戦直後の時代に駆け落ちをする行動力はもってして生まれたものだったんでしょう。
すごいの一言です。
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彼女は経験したことから男性と対等な立場になりたいのであれば、経済的に自立しなければならないと世の女性達に向けてメッセージを送り続けています。
まさに間違いないことですが、男尊女卑の文化がまだ抜けきっていない日本からしたら大事なことで気になる女性も多いはず。
気になる瀬戸内寂聴さんと長女の関係ですが、長年絶縁状態が続いていたそうです。
置いて出ていった母親をそう簡単に許せるわけもないでしょう、二人となったとあれば周囲からも浮いて、根も葉もないことを言われたり、辛い経験をされているのが容易に想像がつきます。
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二人の関係は寂聴さんが出家し後年になってから和解し交流が戻ったそうで、現在はお孫さんもいるそうです。
現在は交流が戻っており、許して貰えていることは救いになりますね!
関係修復できているのはいいことだと思います。
それも瀬戸内寂聴さんが努力によるものだったのではないでしょうか?
置いてけぼりを食らった側からしたら、到底許せないでしょうから。
更にこんな名言も残しています。
夫と3歳の娘を捨てて不倫相手である青年の所に行ってしまった、瀬戸内寂聴さんはその後、青年と再会し交際をスタートさせました。
しかし今度は妻子持ちの男性と不倫関係となり一時期は三角関係になっていたそうです。
結婚していても、他人をすぐに好きになってしまう体質だったのではないでしょうか。
その後、瀬戸内寂聴さんと青年の恋は終わりを告げ青年は事業に失敗して自殺。そして瀬戸内寂聴さんの名言。
「本当のね、恋の醍醐味は不倫ですよ。」
という言葉を残しており自らの経験から生まれた言葉だと伝わってきます。
この名言大丈夫か?って感じですけどね!
恋の醍醐味は不倫とは、それが真実であれば悲しい事実と思う反面、不倫を経験してみたいと思ってしまいませんか?
思うだけでしませんけどね!
瀬戸内寂聴が出家したのは娘がきっかけ?
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瀬戸内寂聴さんがなぜ出家したのは娘さんがきっかけでした。
娘が結婚する話を耳にしたことをきっかけに、娘に婚礼家具を一式送ったそうなのです!
優しいですね!
母としてできることをしようと思ったのでしょうね!
ですが、この婚礼家具は一式全部そのまま送り返されてしまったんだそうです。
コレはショック・・・
意を決した行動だったのでしょうが、受け取ってもらえなかった時は相当ショックだったでしょう。
コレを機に出家することを決意したんだそうです。
娘さんが家具を送り返した理由もしっかりしていて、娘さんは「ママは死んだ」と言われて育てられたようです。
幼い時から母親がいなかったとなれば恨みもしますよね!
送り返すに決まっています。
瀬尾内寂聴の恋愛や仕事の名言が話題?
画像出典元:文集オンライン
人生で迷った時ほど見てしまう偉人の名言とかってありますよね!
瀬尾内寂聴さんも自身の人生経験から得た人生観があり、独自の視点からいろいろな名言を残されており、それが話題となっているようです。
恋愛の名言や仕事に関係する明言をいくつかご紹介しておく。
【瀬戸内寂聴の恋愛名言】
恋を得たことのない人は不幸である。それにもまして、恋を失ったことのない人はもっと不幸である。
自分が孤独だと感じたことのない人は、人を愛せない。
人は、人を愛していると思い込み、実は自分自身だけしか愛していない場合が多い。
いくつになってもおしゃれ心を失わないこと、好奇心を失わないこと、若い人と付き合うこと。これが、若さを保つ秘訣です。
夫婦の間でも、恋人の間でも、親子の間でも、常に心を真向きにして正面から相手をじっと見つめていれば、お互いの不満を口にする前に相手の気持ちがわかるはずです。
【瀬戸内寂聴の仕事名言】
「念ずれば花開く」という言葉があります。私は何かをするとき、必ずこれは成功するという、いいイメージを思い描くようにしています。
たくさん経験をしてたくさん苦しんだほうが、死ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。逃げていたんじゃあ、貧相な人生しか送れませんわね。
人生にはいろいろなことがあります。しかし、悲しいことは忘れ、辛いことはじっと耐え忍んでいきましょう。それがこの四苦八苦の世を生きる唯一の方法ではないかと思います。
相手の立場に立ってモノを考えれば、人間は他者のためにどんなことでもできるのです。
お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげて下さい。
【瀬戸内寂聴のお金の名言】
この言葉はお金を求めすぎても幸せになれないこと、殺伐とした人生になってしまうことを伝えている名言になります。
「幸福になるためには、人から愛されるのがいちばんの近道です。
そのためにはまず、自分が自分を愛さないといけません。
よくがんばっているなと、自分をほめる。
そして自分が幸せな気分になるのです。
自分が自分を愛して幸せになったら、そのあなたを見て、必ず人が近づいてきます。
するとその人も幸せになったり、自分ももっと幸せになる。
幸せとは循環なのです。」
いかがだったでしょうか??
画像出典元:ザテレビジョン
見る人によってとらえ方が違うので一概に恋愛に関係してるか?
仕事に関係してるか?
と思うこともあると思いますが何かしら感じることがあればと思います。
個人的には子供に向けた言葉が良いなと思いました。
何のために生きるのかというのは、みんなが一度は考えることです。
その理由が「誰かを幸せにするために生きるのよ」というのは教えておきたいことですね!
瀬戸内寂聴の秘書が辞めた?
画像出典元:ハフポスト
まずは瀬戸内寂聴さんの秘書のご紹介。
名前:瀬尾まなほ(せお まなほ)
出身地:兵庫県神戸市
生年月日:1988年2月22日
留学:中学2年でアメリカに1週間交換留学生
大学:京都外国語大学 英米語学科(2011卒)
職業:瀬戸内寂聴の秘書
兄弟姉妹:3姉妹の次女
2018年現在で30歳となる瀬尾まなほさん、2人の接点はなさそうに思いますが何がきっかけだったのでしょうか?
留学を2度経験しているので実家はお金持ちかも?
瀬尾まなほさんは大学時代、京都の祇園の御茶屋でバイトをしてた友人から、瀬戸内寂聴さんの秘書の仕事を紹介され、2人は友達の紹介がきっかけで面接を受ける流れになったようです。
更に採用された理由も少し変わっているのが瀬戸内寂聴さんの面白いところです。
秘書の仕事内容は、身の回りのお世話やマネージメント。
瀬尾まなほさんが面接を受けるとなんと一発合格で即採用。
採用理由は「瀬戸内寂聴の本を読んだことないし、文学少女じゃないから」。
瀬尾まなほさん以外の秘書の面接に来た人はみんな、文学は好きでありましたが料理も掃除も下手だったことで秘書には不向きだということで瀬尾まなほさんが採用されるということになりました。
瀬戸内寂聴の秘書が全員辞めた?真相は?
画像出典元:キラキラしたいっ
実は瀬戸内寂聴さんのもとにいたスタッフが全員退職することがあったのをご存じだろうか?
これだけ聞くと瀬戸内寂聴さんに何か問題があったのではないか?と思われがちですが、これ実はスタッフ側から瀬戸内寂聴さんを気遣って起きたことだったのです。
瀬尾氏は、祇園の知人の紹介で寂聴氏の元で働くことになったとか。
しかし、寂庵で働き始めて3年目の2013年に、当時のスタッフが瀬尾氏を残して全員退職してしまう出来事が起きたんだそうです!
寂聴氏は、あるとき5~6人いたスタッフのうち、もっとも古いスタッフに改まって話をされることがあったと、当時を振り返る。
「私のことを『歳をとったと思う』って」
「(私が)働くのは、従業員を養わなきゃいけないからお金がいる」
「だから『これ以上働かせるのは辛い』って言うんですよ」と、当時91歳の寂聴氏の健康面を気遣ったスタッフからの言葉を明かした。
さらに、寂聴氏は「『そのためには、私たちが辞めます』って、涙を流して言ってくれたの」
「感動しましてね」と自身の負担を減らすために、スタッフが一斉に退職することに胸を打たれたという。
稲垣は「辞める方々たちも、すごい苦渋の選択でいろんな思いがあったでしょうね」と、スタッフの気持ちを推察。
一方で、寂聴氏は「だから、前とはまったく違う生活ですよね」と、瀬尾氏との新しい寂庵での暮らしぶりを前向きに語っていた。
画像出典元:toro0327の気まぐれ日記
この内容は2017年12月21日に深夜放送の「ゴロウ・デラックス」(TBS系)で、作家の瀬戸内寂聴氏が、2013年に自身の周囲にいたスタッフの一斉退職について語った内容だった。
瀬尾さんを残してスタッフが抜けるとなれば一大事でしょう。
会社なら詰んだ状態。
しかし、瀬戸内さんを気遣ってのことであれば、スタッフみんなでしていたことを一人でできるように調整していっていたのではないでしょうか?
とても愛されてるお方なんですね!
真相はこういった形となっています。
瀬戸内寂聴のプロフィール
画像出典元:日本放送
ペンネーム:三谷 晴美
誕生:1922年5月15日(91歳)
出身:徳島県徳島市塀裏町
最終学歴:東京女子大学国語専攻部
活動期間:1956年〜
東京女子大学在学中の1943年に21歳で見合い結婚し翌年に女の子を出産、その後夫の任地北京に同行。
1946年に帰国し、夫の教え子と不倫し、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活。
大翠書院などに勤めながら、初めて書いた小説「ピグマリオンの恋」を福田恆存に送る。
瀬尾内寂聴さんと言えばハイカラな尼僧なイメージですよね!
経歴も結構破天荒な感じです。
そんな経験豊富な瀬戸内さんだからこそ、残せる名言があるようです!
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
それでは!
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