2018年に離婚された宇多田ヒカルさんに子供がいたのを知っていますか?
当時3歳の子供について調べてみました!!
宇多田ヒカルに子供がいる?
子度が生まれた日付に関して有力と言われているのが2015年7月3日生まれという説です。
そして、宇多田ヒカルさんは病気により卵巣を一つ摘出しているので、お子さんが無事生まれて何よりでした!
2歳になり、自分で何でもしたくなり、できると嬉しくなるといった感じで、「うんち儀礼」と言われるものも通過しており、自分でウンチをして拭いたトイレットペーパーを見せに持ってくることもあるんだとか!
子供って予想外な事をしてくれるので面白いですよね!
ちなみにうんち儀礼については誰もが通る道だそうですよ!!
宇多田ヒカルの子供の名前は?
名前について宇多田さんがコメントしていました!
「絶対読めない名前とか、日本語っぽくない名前とか、ちょっとかわいそうだなと思う。」
なので、きらきらネームといったものはつけない、かつ、現代っぽい名前を付けるのでしょうね!
これできらきらネームだったら笑ってしまいますけど。
宇多田ヒカルの子供のハーフの画像(写真)
夫がイタリア人なので、子供はハーフが確定しています!
お子さんは「よくお乳を飲んで良く寝る穏やかな男の子」なんだとか元気に健やかに育っているんでしょう!
ハーフってことは目が青かったりするんでしょうかね?
イケメンだったら将来はプレイボーイかもしれませんよ!
子供の顔についてですが、後ろ姿の画像しかありませんでした。
お子さんもフェラーリが好きだそうで、これはフェラーリのお祭りの時の画像だそうです!
ここからは宇多田ヒカルさんの生い立ちについて紹介していこうと思います。
宇多田ヒカルの子供時代(生い立ちから現在まで)
宇多田ヒカルさんの生い立ちについてですが、宇多田さんはアメリカで生まれています。
宇多田ヒカルは1983年1月19日生まれのシンガーソングライター。
2018年現在の年齢は35歳。血液型はA型。
アメリカ・ニューヨーク生まれ。
血液型はA型なんですね!
アメリカで生まれているってことは、国籍もアメリカにあるのでしょうかね?
ちなみに名前は本名の宇多田光だそうです。
ですが、母親の趣味で違う名前になる可能性もあったんだとか!
うちの母の趣味で私は危うく『いちご』か『めろん』か『すいか』と命名されるところだったらしい。
いちごはまだ、かわいい感じがしますが、メロンとスイカはちょっと違う感じがしますね!
母親についてですが、母親は歌手なんだとか!
親の血を引いて歌もうまいのかもしれません。
宇多田ヒカルの母親は歌手として活動していた藤圭子。
ニューヨークへ渡った藤圭子は、そこで在住していた日本人の宇多田照實と出会い、結婚。
長女として宇多田ヒカルが誕生した。
宇多田さんは子供のころから才能を発揮していたようです。
娘の光は、天才なのよ。
いま、ニューヨークで歌の勉強をしているから、見ていてごらん。あと何年かすると、あッと驚くようなデビューを見せるからね。
と周りによくこぼしていたようです!
溺愛されていたみたいで、才能にも恵まれていたとは!
宇多田ヒカルはかつて父親と母親によるファミリーユニット「U3」で活動しており、1993年にアルバム『STAR』をリリース。
3人でユニットを組んでいたのは意外でした!
堂々としていて、揺るがない感じは子供のころから人前で歌っていたからということなんでしょうね!
大人っぽい雰囲気もそのおかげかもしれません。
さらに宇多田は1997年には「Cubic U」のヴォーカルとして、アメリカでデビューしている。
日本では1998年にシングル『Automatic/time will tell』をリリースし、宇多田はシンガーソングライターとしてデビューを果たした。
15歳の頃にシンガーソングライターとして活動していた宇多田さん、当時は無名で反響はなかったものの、歌唱力は折り紙付きで聞く人を虜にしていたんだとか!
13歳の頃からアメリカンスクールに通っていた宇多田ヒカルさん、学校での成績はA評価がほとんどだったようです。
歌のほかにも、バスケットやマラソンなどのスポーツでも才能を発揮していたようです。
天は二物を与えずとはよく言いますが、そんなことはなく二物も三物も与えてますよね!
そして、飛び級で17歳の時にアメリカのコロンビア大学に合格します。
頭良すぎますよね!
しかし2004年には音楽活動に専念する考えを示唆しており、同大学を休学した後に中退している。
それから日本での活躍になるのですが、1998年12月にリリースされた宇多田ヒカルのデビューシングル『Automatic/time will tell』。
初登場時のオリコンチャートこそベスト10圏外だったが、曲を聞いたプロたちは絶賛してCDショップやFMラジオ局で宣伝された。
プロが絶賛するという事態で宣伝がめちゃくちゃされていたようです。
その後、『Automatic/time will tell』は1999年2月8日付けのオリコンチャートの時点で累計100万枚を突破。
宇多田ヒカルの勢いは続き、デビューわずか4ヶ月で日本の音楽史にその名を刻む存在となった。
宣伝の効果もあり売り上げは順調に伸びて、若くして成功をおさめ、勢いも増していったようですね!
1999年3月10日には宇多田ヒカルのファーストアルバム『First Love』が発売。
初動から200万枚突破という大記録を達成する。
それだけでなく、累計765万枚以上のセールスを記録して日本歴代1位に輝く。(2016年7月当時)
その後出したアルバムは大ヒットして、ありえないセールス力で、日本歴代1位となるありえない事態となった!
スゴですよね、ミリオンを余裕で越えてくる枚数を売り上げるとは…
凄すぎる宇多田ヒカルさん。
2010年に活動休止をするのですが、1998年から突っ走ってきて、人間ライクないなと思ったのでしょう。
人間活動に専念すると、活動を休止しました。
宇多田ヒカルは2016年に活動を再開。
同年9月19日放送の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で活動再開後初のテレビ出演を果たしており、タモリとトークを展開。
そして6年後活動を再開しました。
結婚して2年後のことですね!
そして、離婚に至ったというところです。
今回はリリースした曲について触れませんでしたが、宇多田さんにフォーカスして紹介したかったからです。
ご容赦いただければ幸いです。
これからの活躍も期待しています!
最後まで読んでいただきありがとうございます!
それでは!
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