今回は吹石一恵さんについてご紹介します。
吹石一恵さんのプロフィール
【本名】吹石一恵(出生名)
【生年月日】1982年9月28年
【出生地】大阪府
【身長】169㎝
【血液型】A型
【活動期間】1983年
【事務所】舞夢プロ
1983年、1歳の頃、紙おむつ「メリーズ」CMの初代キャラクターとなる。
1996年頃から、舞夢プロに所属する「魔女ランド倶楽部」のメンバーとして関西を中心に演劇やライブなどの芸能活動を行っていた。
1997年、ゲームの映画化作品『ときめきメモリアル』の藤崎詩織役でメジャーデビュー。
同時にこの作品のテーマソング『セピアの夏のフォトグラフ』で歌手デビュー(プロデュースは広瀬香美)。
この年にフジテレビのビジュアルクィーン・オブ・ザ・イヤーに選ばれるなど、アイドルタレントとして好調なスタートを切る。
1999年の夏には現役女子高生アイドルの登竜門とも言えるビクター・甲子園ポスター」キャンペーンのモデルを務めた。
吹石一恵さんデビュー当時から奇麗だったみたいで、ポスター見ても奇麗すぎる!
最近では見なくなったもののテレビによく出演されていた時に熱愛の情報を聞いたこともなかったので、モテたであろう情報も特にありませんでした。
福山雅治さんとの結婚報道はそれだけに意外過ぎて衝撃的でした。
吹石一恵さんの父親は野球選手で山口組との繋がりがある?
吹石一恵さんの父親が元プロ野球選手との情報がネットで話題になっていたので調べてみました。
ユニクロのCMで知られた吹石一恵さんですが、プロ野球ファンからは父親が元近鉄バファローズのプロ野球選手、吹石徳一(ふきいし とくいち)さんであることで知られている。
吹石徳一さんは近鉄で13年間、スーパーサブとして活躍した。
和歌山県の南部高校出身、甲子園出場こそ果たせなかったものの、社会人野球の名門・日本新薬に就職。
1974年に近鉄からドラフト4位で指名されプロ入りを果たした。
ということで父親はプロの野球選手でした。
・現役時代と現在
1978年には74試合、1979年には94試合と持ち前の俊足と強肩、内野ならどこでも守れる器用さを武器に出場数を増やしていく。
才能が開花したのは1980年。
主に8番ショートを務め109試合に出場。
キャリアハイの打率.249、14犠打を記録したほか、249打数で12本塁打とパワーがあるところも見せつけ、2年連続のリーグ優勝に大きく貢献した。
1981年には前年を上回る126試合に出場、10本塁打、13盗塁とレギュラー定着を果たしたかのように思えたが、翌年以降は打撃低迷や村上隆行さんの台頭もあり、守備固めや代走として試合の終盤から出場する日が増えていった。
伝説の「10.19」で知られる1988年シーズンの終了後に現役引退を発表、翌年から近鉄が合併消滅する2004年までコーチやスカウトとしてチームに貢献した。
近鉄退団後は楽天でチーフスカウト等を任され、その後2012年11月30日付で楽天を退団したことを機に、2013年から古巣の日本新薬硬式野球部へ復帰。
同年にアドバイザー、2014年から2016年までヘッドコーチを務めた後に、2017年1月から監督に就任した。
スタメンで活躍したというよりか、脇役として絶大な活躍をしていたみたいです。
近鉄が合併消滅するまでチームへ選手を引退後も協力的に活動していたのを見ると恩義を忘れない方なのかもしれません。
父親が活躍していたとなると吹石一恵さんも嬉しいでしょう、写真を見る感じ仲もとても良さそうです。
・山口組と繋がりがあるの?
ネットでは吹石一恵さんの父親が山口組と繋がりがあるような情報が出てきますが決定的証拠もなくデマの可能性が高いです。
この噂が出始めたのは2010年以降で、ちょうどその頃に吹石一恵さんと福山雅治さんの熱愛報道があり、同じタイミングで野球賭博のスキャンダルがあり、野球賭博から暴力団との関係が噂されたのでしょう。
情報元は某有名掲示板らしく確証的ソースは何もないそうだ。
もし仮に本当だったら相当なスキャンダルで間違いないでしょうが、デマ説が濃厚です。
吹石一恵さんの父親がメインの内容になりましたが、温かい家庭の中で育ったのでしょう、次は吹石一恵さんにフォーカスした内容もお届けしようと思います。
それでは!
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